東京、大阪、名古屋、福岡、札幌…全国で最も大規模病院や診療所の多い5大都市ですが、ここから脱出して過疎地域へ移る医師がニュースになることがあります。
ただ、過疎化地域とはひとことで言っても、診療所の経営がうまく行かなければ生活できませんし、村立や町立の診療所の医師に収まっても日勤夜勤と忙しく働き、結果体をこわしてしまう可能性も少なくありません。
まず、都会の診療所経営そのものも、昨今はそう楽ではないことも知っておかなければなりません。まずは、大学病院の苦境について取り上げて行きたいと思います。
東京女子医大、22億円の負債
2014年2月、2歳児が死亡した医療事故がきっかけで外来患者が激減した東京女子医大病院。厚労省は即座に特定機能病院の看板を取り上げたため、補助金が大幅にカットされてしまいました。
ただ、問題はそれだけでなく経営責任を巡って大学幹部が訴訟合戦を行って評判を落としてしまったことから、2017年には22億円もの借金で危機状態となっています。
東京都内の大学病院で危機的とされているのは他に2校ほど。ただ、問題は消費税10%上げの際に表面化する、と言われています。
病院経営で大きな負担となるのは人件費の高騰と薬剤の消費税。特に大病院では看護師の引き抜きが横行し、給与の高いところに看護師が集まってきます。
薬剤の消費税分は病院が支払いますが、患者が負担する訳ではありません。そのため、薬剤を多く扱う大病院では診療報酬が上がらなければ利益が上がらず、却って開業医薬剤だけが点数加点の報酬改定が行われています。
国では大病院により効率よい経営を求め、開業医には地域医療の核として診療報酬を上げる措置を講じています。が、都会の場合はそれでも患者の食い合いになるため、経営的にはギリギリのところが少なくないのです。
都会の開業医問題は、地域コミュニティーが高年齢化して儲けの出ない診療科しか経営できないことと、新規参入しようとクリニック開業を考えても、土地家屋の建設費が高騰しておりペイできる可能性が低いことが上げられます。
特にマイナー科では医療ビルに集積しているのも理解できますね。
過疎地域とはいっても、場所を選ぼう
熊本に移住した医師。40代半ばで子供が2人、妻が移住を決心した理由は「首都圏の地震」の可能性でした。
東日本大震災の影響で、高層マンションに住んでいた医師家族はインフラの脆弱性に危機感を覚えて、妻の故郷に近い熊本県に移住。
これまでは、勤務医でしたが開業医としてクリニックをオープンさせて、妻も地元医師会病院で勤務医としてアルバイトを開始。夫婦共働きの医師としてスタートしています。
熊本はその後地震がありましたが、幸い医師のクリニックは問題なく、中規模都市の利点を生かして生活しています。
子供の教育に関しても、東京と同レベルの塾に通い、買い物も地元で買えなければネット通販。収入自体は東京より下がりましたが、固定資産税や生活費用などがぐっと下がるので、可処分所得は変わらずといったところ。
これは、あくまでも都市だからできることで、過疎地域でも生活に便利な過疎地域での移住なら問題ないという一例なのかもしれません。
札幌のベッドタウンから、魚沼市の過疎地域へ
札幌市手稲区の住宅街にある小児科クリニックが2014年、ひっそりと閉業。手稲区は190万都市札幌でも人口が増加している市内で一番西に位置する地域です。
札幌市は毎年人口増加が続く大都市ですが、市内でも人口の流動が続き、南区や豊平区は人口が減少し小学校が相次いで閉鎖。逆に中央区、西区、手稲区といった地域に人口が移動する現象が起きています。
その手稲区で順風満帆に小児科クリニックを経営していた島野由美医師、彼女は生まれ故郷の新潟県魚沼市に帰郷、魚沼市立小出病院、堀之内医療センターなどを運営する魚沼市医療公社に就職したのです。
そのほかに、兄の上村伯人医師が院長を務める上村医院(魚沼市)でも外来担当医として働き始めました。
なぜ、クリニックを閉じてしまったのか、それには手稲の事情もあります。一戸建て住宅とマンションの建設が両並びで行われている手稲区。
そこでは島野医師の近くにやはり小児科クリニックができ、患者の多くがそこに移っていった経緯があります。
最近の患者の動きはスマホでのやり取りでもわかるように、評判の良い小児科にドット患者が駆けつけるようになっており、患者の多くが流れていきました。
ただ、しまのクリニックは経営的に安定しており、将来性を考えて故郷に帰るきになった、と島野医師は言っています。
親の介護、地域医療の逼迫、そういった問題に対応しようと島野医師は思い切ってクリニックを閉じ、故郷に移ったとのことです。ただ、ご主人の産婦人科医はそのまま札幌の残ったままのようです。
小児科キャリアは役に立たず、内科医として再出発
魚沼での診療はまず高齢患者がほとんど。そのため、50歳過ぎで新しい教科書を求め、勉強し直す日々が続きました。
ただ、小児科医としてのキャリアの中で「話ができない幼児から症状を類推する」能力がいかんなく発揮され、そのスキルが内科医として役に立った、とのこと。
都会から地方へ、その大きなチャレンジですが、やはり地縁がなければ大きく羽ばたくきっかけにならないのも事実。
転職にはタイミングがありますが、積み上げたキャリアに偏らずに臨床スキルが通用するかをしっかり見極めるのが大切カモ!