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コンビニでのレジでお金を投げてくる客ってなんなの?ある動画が話題に。

お金とモノ・サービスの関係について

今、とある動画が話題となっています。それは、お客さんがお金の支払いの際、お金を投げるような形で支払いをしたことに対し、店員がお釣りを投げ返したという内容の動画です。

※出典 キャリコネニュース

その行為自体は決して褒められたものではありませんが、心情的に理解できるという内容がツイッターのコメントで多くを占められています。

上記の内容において、ポイントとなるのは、昔三波春夫さんという歌手が「お客様は神様です」と言っていましたが、日本人の心理の中でこの価値観は非常に生きており、お客様>サービス・商品の提供側という図式が成り立っているということにあります。

けれど本当にその姿はあるべき姿なのでしょうか。今回はお客さんと商品・サービス提供側との関係性について今一度振り返ってみたいと思います。

そして、この答えのカギを握るのはお金です。お金のことについて今一度確認しながらお客様と商品・サービス提供側との関係性について説明したいカモ!

お金っていったい何?

まず、お金っていったい何だろうということについてお話します。結論からいうと、お金は「モノサシ」です。

例えば100円のコーヒーがあったとして、あなたはこの商品に「100円出してでも欲しい」と考えた場合、あなたは100円を出して購入します。つまり、あなたの価値観とお店が値段を付けた100円という値段の価値がイコールになった場合初めてコーヒーの購入に至るわけです。

では、ただの「尺度」であるはずのお金がこんなに力をもってしまうのか、ということですが、お金は「価値をもった尺度」だからです。と言ってもなんのことだかわからないので
少しお金の歴史にも触れてみたいと思います。

実は、お金は明治時代においては、「金(きん)」の身代わりとなるものがお金でした。経済的な言葉を使うと「金本位制」というのですが、この考え方が世界のトレンドでした。

今は国の信用をもってお金の価値が決まっている「管理通貨制度」という考え方が採用されているのですが、ここでお伝えしたいことはお金というものは尺度でありながら、「金(きん)」の身代わりだったということなんです。

尺度でありながら、金の身代わりだったため、そのものに高い価値が付与されているというものなのです。

資本主義社会という考え方

少し小難しい話になってしまいましたがお金は尺度でありながら、そのものに価値があり、お金を持っているということは「金(きん)」のような高価値なものをたくさん持っているということだとは何となく理解してもらえたと思います。

しかし、本来はモノやサービスと国の信用得ている尺度であるお金とは同じ価値であるため、お金を出す側と商品やサービスを提供する側は対等であるべきというのが本来あるべき姿ではあります。

しかし、なぜ「俺は客だぞ!」や「こっちは金を払ってやっているんだからちゃんとしろ」といったお客さん、すなわちお金を出す側が優位に立ってしまうような風潮があるのでしょうか。

その答えは「資本主義社会」という考え方にあります。資本主義の「資本」とはお金を指す言葉です。立場や身分に関係なく、自由に利益、つまりお金を稼いで、豊かになっていきましょうというという考え方です。

そして、この資本主義の前提に立つのは「競争」です。競争をするということは、勝ち負けや順位がついたりするわけですが、その順位を決める尺度もまた「お金」です。

つまりお金を持っているものが勝者であり、お金をくれる人が偉いという図式が出来上がってきます。

実際、会社の価値を測るときには「売上高」や「資本金の額」など「お金」をどれだけもっているか、「お金」をどれだけ稼げているかが価値となります。

同様に、営業マンの価値をきめるのは「どれだけ稼いできたか」です。お金というものは、会社や人のステータスを決めるための尺度としても使用されています。

そのため、コンビニで買い物をするだけの行為にもかかわらず、物を買っているだけのお客さんは偉そうにし、商品・サービスを提供する側の店員さんがへりくだることがさも当たり前のようになっています。

この根底に、お金を払う側はステータスの尺度となる「お金」を持っているから偉いのだという思いが無意識に形成されているのかもしれません。

お金を使ってあなたの提供しているものやサービスを「買ってあげている」、お金を「使ってあげている」という意識が根底にはあるのでしょう。

一方で、商品やサービスを提供している側からすれば、そのお金を払ってもらうに相当する価値を提供しているのになんでそんなに偉そうにされなければならないのだ、と思っている訳ですし、態度の悪い人間に対しては普通に考えて腹が立ちます。

今回冒頭で紹介したお金を投げるようにして払うお客さんと、おつりを投げ返す店員の動画について、根底に上記で紹介した価値観がぶつかり合ったため起きた事象だと考えてもいいかもしれません。

ただの乱暴な客と店員のやりとりに見えますがその根底には深いものがあります。お金はものを測る尺度だった筈なのに、人の価値を測る尺度になってしまっているのカモ。

まとめ

いかがでしたでしょうか。お金は再三お話しているように、モノやサービスの価値を測る尺度であったはずなのに、資本主義経済の考え方が、いつしか人の価値を測る尺度になってしまったのかもしれません。

しかし、お金の根本は、物々交換が大変であったがゆえにできた「代物」でしかありません。

とはいえ、お金は価値があるものであることには変わらず、お金を持っていることがステータスである現状をかえることは難しいでしょう。

では、何を変えるべきなのかというと「倫理観」です。お金をもらう側は、お金をもらうためだけのモノやサービスを提供する、そしてお金を払う側は、その質の高いモノやサービスに対し、敬意をもってお金を払うということ。

そういった「お金」に関する教育ということを考えていく必要があるでしょう。

冒頭で紹介した、お金を投げるように支払うお客さん、そしてそれに対しお釣りを投げ返す店員の動画を見て「共感」を感じるということは、お金に対する倫理観が私たちの中で出来上がっていないから起こることなのではないでしょうか。

いつか、同じ動画を見て、世の中の人たちが「共感」ではなく、「まだこんな人たちがいるんだ」といった「呆れ」が共通認識になる時代が来てほしいカモ。