バブル時代(=1986年12月〜1991年2月)に医師となった世代も50代。それぞれが社会の中核となり、若手医師の指導的な立場になっている医師も多いでしょう。
そして、50代から60代前半の医師はそれより前の世代よりも急激に多いのが特徴です。
1973年から6年間の間に新設された医学部は国立大学だけでも16。これに私立医大が加わるため、グンと医師数が増えた時代の医師が50代から60代というわけです。
医科系大学は独自のカラーが強く、大学同士の競争意識も高いことから、医局の存在も非常に強力で地域医療に大きな影響を及ぼしてきました。
医師養成人数が多かったことで、この世代は一カ所でしっかりと足場を組むタイプが多く、その反動なのか転職ではあっと驚くような転身が少なくありません。
転科あり、訪問医への転身あり、全くの無縁地病院への転職あり、とその内容も非常に多彩なのです。
医師生命は30歳をスタートと見ると、60代半ばで35年、75歳で45年となります。通常は臨床系、研究系、執刀専門、検査専門などと様々な分野でのエキスパートになっていくのですが、年代に応じた需要が異なるのも医師職の特徴カモ。
70代では検診医や総合内科医としての招聘が多くありますが、昨今の50代医師の中にはこうした「終末キャリア」を良しとしない形も見受けられます。
診療報酬制度の改訂が、医師の将来を変える
病院の収益を決める診療報酬制度。薬剤から処置方法に至るまで点数化した制度は、薬価基準制度とともに日本の医療制度の根幹です。
過去に10対1の病床数と看護師の配置数を7対1に定めたとたん、多くの病院が看護師を採用し、結果的に看護師養成大学が増加しています。
とはいえ、病床数の多い病院は6割が赤字、という見立てもあるほど病院経営は甘くはありません。国は100兆円にも上らんとする国民医療費を抑制しようと、診療報酬制度を改訂し続けています。
また、急性期病棟を減らし慢性期病棟に振り分け、さらに在宅医療に舵を切るなど対策は財政面からの要求が強くなっています。
ですが、一般の医師の立場ではどうでしょうか?開業医ならば日々の患者数で「上がり」がわかり、2ヶ月後には診療報酬として現金化できます。
勤務医の場合はそうはいきません。患者数が多くても少なくても給与は変わらず、多ければ仕事が増え、少なければ救急の応援に行くこともあるでしょう。
50代医師がこうした診療報酬制度の改訂の影響を知り、いっそのこと自分でしかできない医療を行ってみよう、と一大決心するのは間違った行為ではありません。
自ら2次救急病院を開業させた医師、総合内科医として過疎地域の診療センターに応募する医師、研究医から臨床医へと50代では考えられないハードランディングを行う医師も出てきました。
交通手段の発達で、地域病院と首都圏が近くなった
宇都宮から東京へ、所要時間は54分で4,410円。東北新幹線で通勤通学する人は少なくありません。特に、最近の東京の住宅事情では家賃を払うよりも交通費を払って地方から上京する方が安い、というケースが増加しています。
実は、これは逆のケースもありえます。東京に住み、栃木の病院に通う。通勤ラッシュとは逆ですからストレス過多にはならず、落ち着いた通勤状況で仕事にも良い影響を与えるでしょう。
これが東京−浜松間ではどうでしょうか。実際に浜松では東京から、名古屋からの医師急募の転職案件が途切れないのです。
首都圏はオリンピック需要で、建設ラッシュに人口集中。医療現場もかなり多忙さが続いている診療科がありますが、いったん地方に出るとそういった空気はありません。
浜松医科大学はあっても医師は足りない、それが静岡県の事情。こうなれば、今まで考えた事もなかった地方の病院に50代で転職しよう、という考えも湧いてくるのは自然かもしれません。
医師仲間が多いから、逆に自分らしく生きたい医師も多い
医師が2人、3人と集まると自然と出てくる話題が「院内政治」と「生涯年収」。特に、医療制度自体の仕組みや病院の仕組みへの関心の高さは、どの医師も持っています。
そして、年収に関しては驚くほど不安に感じる人が少なくありません。
なぜ医師という職業は、様々な不安や関心を抱かなければならないのでしょうか?その答えは、医師が医師としか付き合わないことに起因しています。
様々な職業、様々趣味のグループの人と知り合いになっている場合、自分らしい生き方を敢えて行わなくても十分今を楽しむことができるでしょう。
医師の仕事は医師以上でも医師以下でもありません。そのため、転科を行うことで自分を変えたいという欲求も出てくるのは自然なことでしょう。ただ、50代の転身は体力とよく相談すべきです。
そしてもうひとつは家族の同意。それが叶えば、ベテラン医師が人生のベテランぶりを発揮するチャンスともいえます。